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地域活動の章
別当大師光定
別当大師光定(779〜858)

我が里山に戦国時代の城跡がある。その昔「医座山城」と呼ばれたそうだ。あまり高くはないが、眼下に北条や鹿島が見下ろせて、気分をリフレッシュさせるには格好のスポットになっている。
 北条は2005年1月松山市と合併した。まことに古い話だが、平安の世にここは風早郡(かざはやごおり)と呼ばれていた。風早出身の「光定(こうじょう)」は比叡山延暦寺を開創した最澄に仕え、真言宗の開祖空海にも学んだ。時の帝であった嵯峨天皇には寵(ちょう)を得て、京の都において縦横無尽の活躍をした。
 後々には、長年の功労をたたえられて「別当大師」と親しまれた。歴史に名を連ねる円仁や円珍はおとうと弟子にあたる。光定は彼らを中国に留学させた。現在の価値で数千万円の仕送りを続けた。遣唐使船で運んだ貴重な金子を大陸で持ち逃げされたこともあった。
 光定の残した文書の中に、最澄の言葉として「怨みを以て怨みに報ゆれば怨み止まず、徳を以て怨みに報ゆれば怨みたちまち尽く」が挙げられる。千二百年の時を経て考えさせられる言葉であることと、愛媛県史随一に掲げねばならない「光定」の偉大な活躍が産土(うぶすな)の古里北条から忘れ去られていることを悲しく思う県民の一人である。没後千百五十年が近い。

医座寺 住職 熊澤 芳裕 合掌




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