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合掌の章
わが家の動物
猫のメイ
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 愛犬サクラ(柴犬のメス)が天寿(17歳)を全うした。参拝者の皆さまにも愛された犬だった。1年ばかりブランクがあったが、淋しさに負けまたかうことになった。
今度も柴犬。ただしオス犬(血統書付き)である。生後100日足らずの愛くるしく、やんちゃなのがやって来た。「トノ」と命名した。「殿」を意味するのだが、はやくも周辺から「◯◯殿」とか、「シムラ」と呼ばれて、愛犬は返事に困っている。名は体を表すという。大きな期待はかけないでおこう。とにかく、穏やかな犬であって欲しい。
運動を兼ねて、医座寺外苑五千坪の桜公園に連れて行くと、解放された喜びを爆発させ我が物顔で走り回る。高い峠にいたかと思えば、たちまち谷底目指して突っ走る。
呼べども応えず、成長著しい若さと、オス犬特有のイタズラ心が働いて、油断も隙もあったものではない。
 比べると不幸が始まる云う。ついサクラと比べそうになる。いやいや、思い出は大切に仕舞っておこう。始まった「トノ」との付き合いにも、新たな発見ハプニングが待っているはずだ。お互いにお付き合いを楽しもうではないか。
 目下根気の要る仕付けの訓練中。「オテ オスワリ オアズケ マテ ヨシ」

 

 

 


 ネコ好きの家内に口説かれて、友人から譲られた雑種の雌ネコ。5月にやって来たので「メイ」と云う名前が付いた。「トノ」より早く来たから、お姉さんと云うことになっている。
 幼いころは私の膝を寝所にして育った。大きくなっても、ときどき膝にやって来ることがある。三つ子の魂ではないのか。
 元来、ネコ好きではなかった私も、愛くるしい仕草に、子育て当時を思い出したり、したたかなおねだりに、根負けしながら、「以心伝心」を楽しんでいる。
 メイには悪かったが避妊手術も施した。犬と違って鎖はない。しかし、見えない鎖もあるようで、ときおり戦いのキズをなめなめ帰って来ることがある。縄張りを守ろうとする、悲しい動物の性がそうさせるのだろうか。高い屋根にいて、塩ビの屋根に大穴空けたり、部屋にあっては、パソコンの上でジャンプして、キーを壊したりと、家計に響くこともしでかしてくれる。そのうち、孝行娘に変身することでしょう。

 

 


亀のカンタ

動物好きの家内と娘が、ペットショップからクサガメを買ってきたのは十年も前のことだ。五百円硬貨より少し大きく、「カン太」と名付けられた。当時、娘は小学生。愛犬もいたが格好の遊び相手。学校から帰れば庭に放した。愛くるしいしぐさに心が和んだ。カメのくせに不思議と水を嫌った。
 昔から、カメは足が遅いことになっている。どうしてどうして、逃げ足は速い。油断して逃げられたこともある。おなかに彫り込んだ名前のおかげで、近所の子供たちが届けてくれたこともあった。五年を過ぎた晩秋、とうとう行方不明になった。娘は泣き泣き捜したが見つからず、あきらめた。
 ところが、ひと冬を越して春遅く、近くの山からヒョッコリ姿を現した。再び見つかった感激より、人の手を借りず生き永らえた感動の方が娘には大きかったようだ。そんなことを繰り返しながら十年がたち、カン太は甲羅の長さ二十センチ、体重は千三百グラムに成長した。
 娘は現在、県外で大学生活を満喫している。メールではカン太や愛犬の心配が先行する。そのカン太が、何とかわいい卵を二個産んだ。これにはたまげた。事の次第を娘に知らせると「ウッソー」のメール。物言わぬカン太は実は雌だった。呼び慣れた名前を「カン子」に変えないといけないのか、家内と話し合っている。


 一般に地鳥と聞くと、大地に放し飼いされたにわとりだと思われている。じつはそうではないのだ。それぞれの土地で、古来から飼い続けているにわとりを地鳥と呼ぶ。これ本当。
 例えば、天然記念物に指定されているシャモ、赤笹種、チャボなどだが、日本鶏を中心とした鶏が「地鳥」と呼ばれて久しい。看板にいつわりありとまでは言わない。大型の外国種と交配して、鶏肉販売を考えた「地鳥」の村おこしも盛んだ。
 わが家のにわとりは、さまざまな血を交配して「伊予の地鳥」を目指した遊びである。体型はなるべく小型にして性格は穏やか、大食でなく粗食を目指す。たまごは小さくていいが沢山産んでほしい。となれば、これは贅沢な注文だ。しかし、こうした「遊び心」の飼育にもかかわらず、それらしい鶏に近づきつつあるから楽しい。これを独り善がりと言う。
 ただいま、40羽ばかり遊んでいる。純粋な地鳥からスタートして、数多くの血が交ざったようだ。「土佐ジロー」「比内鶏」「小軍鶏」「郡上鶏」などなど、上げればきりがない。20年を経過すれば以心伝心、お互いの気心も分かろうと言うものだ。もっと種を増やしたいが、朝のコケコッコーが未明の3時だったりすると、周辺の迷惑にも限度がある。
 山奥にログハウスを建てて、地鳥と日本みつばちを連れて移住したいなあ。
今のところ家族に賛成するものはいない。

日本ミツバチ

 わが家では、趣味で日本みつばちを飼っている。女王蜂中心の生活だから、彼女たちと表現するのが正しい。 20年昔、彼女たちが境内の樫の大木に巣を構えた。初めは困ったことになったと思った。「蜂イコール刺す」この定義を私も堅く信じていた。参拝のみなさまに被害が及ばないか、家族は大丈夫か。怖いもの見たさも手伝って次第に引き寄せられていった。
 文献を調べてみると、この蜂は神代のむかしから日本に生息していて、とても穏やかでデリケートであることが分かった。明治10年、初めて西洋みつばちが輸入されると、養蜂業者は貯蜜能力にまさる西洋みつばち飼育が流行となり、日本みつばちは邪魔物扱いされたのだ。
 都を追われた日本みつばちは、それでもしたたかに生き続けた。人間に依存しないと生きていけない西洋みつばちと違って、彼女たちは、自然界に順応して生きるノーハウをもっていた。冬から初春にかけて朽ちかけた大木の空洞部分や、岩の間といったわずかのスペースも見逃さず事前に確かめ、さくら咲く翌春の分蜂(巣別れ)に備える。
 分蜂は壮観である。よく晴れた4月〜5月の午前中が多い。住み慣れた箱から、怒涛のごとく空に舞う数千匹のはち達。数分後一時的に決めてあった木の枝にボール状の固まり(蜂球)となる。それを手作りの箱に収容するのだ。はちは刺さない。何故?分蜂のはち達は、お腹一杯食べて巣をでる。雨が三日三晩降っても対応できるのだ。そのうえお腹が大きいと些細なことでは腹がたたない。つまり刺さない。はちは賢い。
 はち蜜の収穫は真夏から秋にかけて、古式にのっとって行われる。企業めいた遠心分離器は使わない。はち蜜は濃厚で味が素晴らしい。ことばでは説明出来ない。本物は100年置いても腐らない。この味を知ると完全にハマッテしまう。本物の味これこそ醍醐味というのかも知れない。この味を知って後、市販のはち蜜を購入したが物足りないという人は多い。 もう一点話さねばならない。あの嫌われもののすずめ蜂と対等に戦えることだ。秋10月になると、すずめ蜂は狙い定めたようにみつばちを襲う。冬を越すためにみつばちたちを食料にするのだ。これも悲しい定めかも知れない。西洋みつばちはたった数匹のすずめ蜂によって、一箱数万匹を駆逐される。
 日本みつばちは、襲って来るすずめ蜂に対して、数10匹が一丸となって飛びかかり、団子状の玉となって高温を発し退治する。これにはいつも感動する。よく頑張ったとエールを贈る。生きるためにこれほどの知恵を高めたことを称賛する。 むかし話に、とある山里の和尚さんが、小僧に隠れて水飴をなめていた話がある。私は、これは間違いなく、日本みつばちのはち蜜であったと断言出来る。
 いつの間にか、日本みつばちと共生するようになった。日本みつばちの魅力に取りつかれ
完全にハマッテしまった。寸暇を惜しんで働き続ける日本みつばちに学ぶことは多い。
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